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水曜日, 2月 10, 2010

ポニョをこきおろす

 AVATARの興奮もさめやらぬ中TV初登場ポニョがまさかの視聴率30%を割ったという。ざまみろ。のびのびになっていた悪口を書くなら今しか無いと思った。

 当時、映画館でリアルタイムで見た時、最初に異変を感じたのはほんの序盤だった。宗介が割れた瓶で指を怪我し流血した場面だ。宗介は出血するとその指を舐めて観察を続けたのだった。
 ……おい、確かこの子、五歳だったよな。設定ではそのはずだ。……自分が流血して泣き出さない五歳児。いくら男子とはいえ少々おかしくはないか。もっと言えば不気味ではないか。
 しかし、そんなものは序の口であった。宗介の逞しさは五歳児としてはあまりに異常ではないのか。いくら物語が進み天変地異が起こっても宗介は決してひるまない。……宗介だけではない。登場人物が軒並み逞しすぎる。おいおい、家々が波の下に沈んでるんだよローンだって残ってるだろうに普通えっほえっほとボート漕ぐか!? 普通の人間なら泣き喚くだろう?
 この映画は人間が普通に持っている陰の感情をほとんど剥ぎ取っている。せいぜいトンネルのシーンとトキさんぐらいのもの……それは「例外」であり作品の巨大な波に呑まれる否定されるべき事項、という扱いだ。
 宮崎駿によるとこれは「不安と神経症の時代に立ち向かう」作品だそうである。冗談ではない! こんなに神経症的な作品はない。人間の負の感情を神経症的に取り去り存在しないものとしようとしている。
 当時これはタイミング的に宮崎吾朗の「ゲド戦記」に対する回答、とも解釈された。あの陰鬱な「ゲド」に対する回答がこれだとしたら……吾朗が、そしてもっと前には庵野が駿に突きつけた、あんたの映画はみんな綺麗ごとじゃないか、ということに対する回答がこれだというのか。
 「ゲド」を観た当時、私は吾朗が天才・駿の父親、という十字架を背負わされてか、よほど辛い青春を送ったのだろうなという想像をさせうるに十分な映画だと思った。それを踏まえてポニョを観ると、宗介が両親を名前で呼ぶという不自然な設定も私には吾朗へのあてつけのように思えてならない。私はこんなにも子供と対等に接するべきと考えているのです。私は子供の人格を尊重しています。あなたが傷ついたとしたらそれは勝手に傷ついたあなたがいけないのです。そんなメッセージ。
 ポニョという映画は、現実にはありえない「決して傷つかない人々」ばかりを配し、現実の他者から目を背けた映画だ。自己という存在が刃となりうるという事実から逃避した自慰映画だ。
 ポニョを観て感動した人はもう決して引きこもりや二次コンを笑えまい。駿は今や脳内他者とたわむれている。
 この映画は妖怪映画だ、と揶揄する向きがあるが、私もそれに賛成である。しかし最大の妖怪はポニョではない。不気味極まりない五歳児・宗介こそが妖怪である。宗介と彼を取り巻く人々こそが妖怪なのだ。

 この映画を観た後、「となりのトトロ」を再見する機会があった。そこにはちゃんと人間がいた。子供たちは怖ければ泣いたり怯えたりひるんだりしていた。このときは駿はまだ正気を保っていたんだな、と思ったのだった。

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水曜日, 2月 03, 2010

明日は古紙回収ですああめんど

 恵方巻きが日本でこんなにも広まったのは、自分は強いと周囲に思われなくては駄目と考え、常に声を大きく虚勢を張っていなくては不安でたまらない、声の小さい人間は劣等であるとみなし続けなければおそろしくてしょうがないという強迫神経症から人類が脱却しつつあるのだと思う。そんなわけで私も齧りました、恵方を向くと目の前がクローゼットだ。崇めてどうするのか。服の神。そういう冗談だというのか。
 大河ドラマ「龍馬伝」が面白すぎる。去年の「天地人」と比べりゃ文字通り天と地だ。いや、地のほうが低すぎてマリアナ海溝なんですがそれはそれとして。画面の質感も良くまるでフィルム撮影のようだ。最近は「デジタルシネマカメラ」というのを使うとフィルム撮影かのようになるらしく、しかしぐぐっても龍馬伝では「30Pプログレッシブ」であることは盛んに述べられているがその「デジタルシネマカメラ」であるかどうかはわからん…しかし多分そうなんじゃないかと思うが。いや、それ以上に中身が素晴らしいんだけどね。
 昔大河を勧めた時「ビデオ撮影の時代劇は好きじゃない」と言って断り、「ドラマをあまり見ないのでは」の指摘にもその当時やってたNHKの「愛されてますかお父さん」をあげて「結構見ていた」と主張した。いやそんな泡沫ドラマを上げられても……その後彼は自分の口で「ドラマあんまり見ないんだけど……」と暴露したことがある。
 そんなわけで彼に「龍馬伝」を勧めたところで見ないに決まっているから勧めない。単にドラマが好きでないから見ないのなら、「ビデオ撮影」云々を提示することで「単に好みで見ていない事実」を隠蔽しているのだから、あらゆる隠蔽を批判する彼の哲学に物凄く反するような気がするが……。と「心の中で思った事実」を隠蔽するのは彼にとって好ましくないからわざわざその事実を書きつけてみるテスト(もう死語?)

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